vol10

chu6
稀代の陶工

ちゅう右衛門初個展記念 独占インタビュー

この度は初の個展おめでとうございます。わざわざおいで下さりご苦労様です。

お恥ずかしい限りです。

さて今日は先生に色々とインタビューさせて頂きたいと思います。

インタビュー?

先生に対して質問と云うか取材をさせて頂くことをインタビューと言います。

あ、そう。宜しくお願いします。しかしイコールってどういう意味なの?

イコールはですね。何何と何何が等しいとか、何何と何何が同じとか、そういう意味です。

イコールというのは英語?

英語だと思います。

あ、そう。インタビューは英語?

いえ、インタビューは日本語でさせて頂きます。さて今度の個展の意気込みは如何ですか。

そう、個展するのよ。いや私にとっては初めての事だから。長い事やって来たけど。作り手である私の陶芸にはこれまで使い手がいなかった訳だけど、今度の個展を通して、使い手と触れ合うことが一番の楽しみであると。そう思ってるよ。よう使うてるよと云われるのが一番楽しみだね。

先生は個展会場にいらっしゃるんですか。

なるべく行きたい。ただ、うんと遠いから二度と帰って来られないかも知れないし…。

お年の事もありますし、ご無理をなさらないようにして下さい。お身体の調子は如何ですか。

まあ、若い時分から見れば良く寝るね。もうご老体もご老体だから。疲れ易いし、良く眠るよ。しかしご覧の如く調子はいい。

さて、先生が九谷焼を始めるに至ったきっかけを教えて頂きたいのですが、いつのことですか。

昔になりますな。明治の初めの頃だったと。あいや、二十年頃かな。日露戦争の前だったから、それくらいですね。あれ、日清戦争だったかな。まあ、生まれてすぐ九谷を始めた訳ではないので、120年くらいでしょうか。あな恐ろしや。

改めて、ご長命でいらっしゃいますね。

あんまり長い事いて、恥じゃないかと思ってね。おめおめと。普通のねずみちゃんは3年程で逝ってしまうからね(笑)。

素晴らしくおめでたい事だと思います。先生は九谷焼の窯元、上出長右衛門窯の工房でお生まれになって、ご両親も代々陶芸をされてたんですか。

両親共ねずみで普通の家ねずみ、いたずら以外は何もしないよ。

そのようなご環境で、普通の家ねずみが九谷をされたのはご両親のススメで?

いや、両親は私とは違い、チューとしか発っしないので。私はねずみとして生まれ嫁をもらい、嫁をもらうってのも変な話だけど、まあ子が生まれ、親が死に、仲間が死に、更に子や孫や曾孫までも私より早く死んでしまった。皆生々流転と輪廻を繰り返しているけど、自分は一向にその気配がない。ねずみとしてする事の限りは尽くしたと思うけど、我死せずと。何故でしょうかね…。この世に置いてけぼりになってしまったようで孤独でね。自分は若い頃から人の言葉が解って、読んだり話したり出来るようになったのは少し後だけど。若い時から周りのねずみちゃんと自分は違ったし、死なないという現実の中、周りの者らが死ぬという衝撃を真向からうけた。長い夢を見ているのではないか、いつこの眠りから覚めるのかと煩悶として生きていた頃があったね。まあ、もう本当に昔のことだけど。つまり言葉を得た事で、考えたり悩んだりするようになってしまった。それがただのねずみでは居れなくなった起因だったと言える。自分が何者なのか悩むことになる。誰も人の言葉が解らないから打ち明ける事も出来ずに。

人の言葉を得た故に考えてしまうというのは皮肉ですね、人間に相談することはなかったんですか。

いや、人は恐ろしい存在だった。何度も追いかけられたし、我々ねずみは衛生害獣だからね、駆除の対象でしょう。まあ、ねずみのやることを見れば当然と云えば当然だけど。何匹のねずみが殺され、追い出され一時期は工房から総てのねずみが居なくなった事もあった。だからそう易々と交流したりなんてことは出来なかった。だから抱え込むしかなかったね。自らの運命かと簡単に片付くものでもないし。

そうですね。運命…。

運命なんて物はただの言葉でね。そんなもの気にしても仕方ない。ただ、自分の素質は変えがたいものだと、その素質を如何に受入れ生きて行くかが人生であると。そう思うに至ってから私は迷妄を開いて行った様に思う。

なぜそう思えるようになったのでしょう。

例え不運に感じても現実というものを重んじる事が大切なんじゃないかと気がついて。自分とは何かと云う命題は死の淵に至るまで私を追いやり亡霊のようになる迄苦しんだ。しかしある日、身も心も憔悴し切った私の目前にまさに如来の如く現れたのが九谷焼だった。九谷焼はただただ美しいという訳ではなく、寧ろ完成されていない稚拙さや、洗練さというより無骨さがあった。しかしそれを恥じる訳でも諦める訳でもなく、見事に堂々とし我此処に在りという様な存分な主張と大胆さがあった。私は全身全霊で引き寄せられた。不思議と孤独や失望、悲しみを持っていた私の総てはその器に抱擁され、小さな我が身だが、九谷に捧げようと思った。九谷の先人、職人に随行し従おうと思った。つまりその時職人になった訳。

職人と云っても一朝一夕でなれる訳ではないですよね。

精神の上でと云う事。そして、ねえ、そこからが長かった(笑)。身の上でも職人になるのに120年かかった。大変な道のりだったよ。

誰かに指導して頂いたのですか。

いや、人はやはり恐ろしかったから、こっそりと見て盗んだ。私にとっては一歩一歩、各駅停車の如く道のりだった。しかも行ったり来たり。しかもねずみの歩幅は誠に短いからね。人並みの技術を得るのに120年もかかった。よくぞそれ迄我が身も果てなかったと思うね。何者とも交わることの出来ぬ苦しさと孤独が九谷との深い対話を生んだ。そう思ってる。でもまだまだ対話することはたくさんあると思う。

それが長寿を引き寄せたのかも知れませんね。技術は得るのに大変だった事はなんですか。

誰に教わる訳ではないからね。ただ唯一師と言える方がいてその方には多くを学んだ。ロクロも容易ならないけど、矢張り絵付けに難儀した。筆が巧く持てないから。しかし自分の尻尾を筆として描く様になってからは上達したね。これは私の唯一の師、谷さんに助言を頂いた。

谷氏は人間ですか。

タニシ??田螺は人間じゃないよ。いや、私ね田螺には目がなくてね。大好物なの。なんだか食べたくなって来たな。田螺お好き?

食べた事ないですね。どこに行ったら食べれるんでしょう。

田んぼか川。

で、済みません。先生の師であられる谷さんは人間ですか?

谷さんは人間だよ。九谷に谷ありと呼ばれる程腕の立った明治の絵付師。谷さんは動物を描くのが得意で、よく私をスケしに来てたのが縁で。

スケ?

ああ、ええと…

スケッチ?

そう。スケッチ。

当時長右衛門窯には沢山ねずみが居るっていう話があったらしく、ねずみ年だった年の縁起物を描く為にねずみを探してたらしく、私はまんまと捕まっちゃって。運命だね(笑)。

ところで絵付師の谷さんとはどのように接していたのですか。

何年か彼に絵付けの技術を教わった。多い時でひと月に二度三度来られて、私をスケった後、絵の具の溶き方などを私に教えてくれた。誠に実直な方でね、子年を過ぎても来てくれたけど、言葉を喋るねずみを不思議とすんなりと受け入れてくれたのよ。

どんな線も総て尻尾で描かれるんですか?

そう。どんな線も尻尾ひとつで描きます。

是非拝見したいですね、ロクロも谷さんから?

いえ、谷さんはロクロは出来ない。私の場合、ねずみが生地を発注する訳にはいかないから、自分で。全て長右衛門の職人を見て盗んだけど、矢張り手足の構造も人とは違うから、殆ど独学に近いね。人がロクロをするような格好では出来ない。顔や前歯を使って成形する。独自の方法。見たら驚くと思う。茶碗というのは大概左右対称で、そういった左右対称なものは先人の手によって最早完成されているという事を云う方もおるらしいが、私はそうじゃないと思う。求心円、同心円的な造形こそが茶碗であり、魅力であると思うよ。私は工芸というのは用途が一番大切であると思っていて、使えない器やオブジェなんかは面白くないね。特に私が重要としているのは機能と美しさのバカンスであり、そのものの調和。それは出来上がった茶碗のことだけでなく、その製法、哲学総てにおいてのバカンスね。

バランスじゃないですか?

そうバランス。その中でロクロで成形するものはその軸である芯が背筋のように一本天に向かって立っている。その従順さと云うか、素直な形が好きだよ。私には長い尻尾があるからあなた達より強く中心を感じさせているのかも知れないよ。

確かに、それが作陶にも反映されているのかも知れないですね。

尻尾って大切よ。尻尾もないのに人間は良く立っていられるよね。一つ訊くけど、尻尾って一寸も生えてないの?

はい一寸もないですね。尾てい骨と云う骨だけはありますが。

は〜、人ってやっぱり凄いよね。私はね、中心の軸が天とつながっている感じがして安心するのよ。大切なものは真ん中や芯。九谷焼もそう、そこには美しさがある。歴史的な意味でもね。

なるほど。確かに安心する形ですよね。話を谷さんに戻しますが、谷さんは他に何か先生にお教えになったことはあるんですか。

そうだな。人間の事は殆ど全ての事を彼から学んだよ。人間界の道理、仕組み、挨拶などの作法から、食事の作法、あと読み書きも少し学んだ。谷さんには本当に感謝しています。今の私が在るのは谷さんのお陰。お酒を飲ませて頂く約束をしていたのだけど、その後谷さんはお亡くなりになった。知らぬうちにお亡くなりになりそのまま恩返しが出来なかった事を今でも悔いてるの。

そうでしたか。素晴らしい方だったんですね。

ねずみの死には馴れてたけど、人も死ぬという事実を突きつけられた上、唯一の師であり、友人でもあった谷さんを失って、やり切れず悲しくて泣いてたよ。

訃報はどこから?

新聞で読んだ。その時の新聞は歯で切り取って今でも大切にとってあるよ。新聞の読み方も谷さんから教わったものでね。あれ文章が行ったり来たりして次はどこ読めばいいか解らなくなるでしょう。

しかし、先生が新聞までお読みとは恐れ入りました。

人に興味津々だった私に谷さんが新聞を読んだらって。世の中の事を知っておくという事は私みたいに引き蘢ってる職人にも大切だよ。まあ、読んでても解らないことの方が多いんだけど。

谷さんから学ばれた絵付けですが、絵付けに関してはどのようにお考えですか?九谷は絵付けを離れずと云う様に絵付けは重要だと思いますが。

九谷の絵には日本の心というべき幽玄性と新鮮な感覚、そして鮮烈な生命の喜びに満ちあふれている。私も普段暮らしていて、色んな発見とか感動ってあるのよ。例えばお月様がきれいとか、栗が美味しいとか、ヒゲが昨日より伸びてるとかね。感動の集積を真っすぐ九谷焼の技法を通して自分の手で表現出来る。そして焼き上がりを見て更なる驚きがある。最高の発明品だと思う。九谷焼って。それから古い九谷焼って作り手知らずという様な匿名性も非常にマロン的だよね。

マロン的?栗?

それらは誰かが発注し、誰かが形を作り、誰かがが描き、誰かが使っている。その多くの名も無き人たちの事を考える事があるんだよ。私はそういう人たちを尊敬している。その気持ちが私を今に続けているのだと思う。つまり過去に対する尊敬、九谷の先人達への敬意、そして自分の過去を大切にしている、もちろん私はねずみであるが、両親はもちろん、先祖を尊敬している。そういう過去への気持ちが真に新しいものを生むのだと思う。殆どの人間やねずみは今だけを生きていて過去を軽蔑している。本当に価値のあるものはそんな所からは生まれない。それを私は不滅の美だと思っているけど、そういった不滅の美を九谷を通して表現したいね。やっぱりね。

興味深いお話です。自分も先人の工夫や努力があって現状があって、逆に言えばこれからの人に残る全てのものには今の自分達の責任を感じています。政治の問題も、環境問題も、社会や世界の抱える全ての問題。自分達では変えられないような事でさえ自分達の事なんだって・・・

あ、そう。頑張ってね。吉田屋等は古九谷への熱い思いから生まれたものだしね。過去に残っているはみんなそういう所から発している。

そうですね。先生は作品を発表するまでの長い間、特に谷さんがお亡くなってからはどのような事をお思いながら作陶を続けられたんでしょうか。

いやはや、折角谷さんという素晴らしい方に教えて頂き、窯元という恵まれた環境やそこで生まれる素晴らしい九谷焼に囲まれながら、何故私はこんな素人のようなあからさまに未熟な器しか作れないんだろうという事を恥ずかしく思いながら、ずっと。

いつまでもアマチュアの域を脱しないということですか?

そう、仰る通り、甘ちゃんの域を脱しないんです。そんな自分に腹もたてながら、ひたすら作陶に没頭した。しかし120年もかかったんですからね。一級の不器用だね。普通ロクロであっても最低でも10年と言われてますから。私はロクロを人並みにこなすのでさえ、100年くらいはかかったよ。

それでも継続出来るという事は素晴らしい事です。

いや、素晴らしいのは私の様な甘ちゃんの個展をして頂く事、本当に恐れ多く、ありがたい事だと感謝しております。ところで金沢には猫はいますかね?

ええ、沢山いると思います。

あ、そう。恐ろしいなあ。

最近の猫はねずみを捕らなくなったとは聞きますが、金沢にいらっしゃる際はどうかお気を付け下さい。さて先生は日頃どのような生活をされていますか。

美味しいものを食べて、仕事をして寝る毎日です。夜起きて、朝寝る。昼はたまに起きてぼーとしたりして、本なんか読んだり。

何をお読みですか。

ダンチュウって本。ちょっと大きな本だよ。

恥ずかしながら存じません。どなたがお書きになった本でしょうか。

誰が書いてるなんて気にしたことないな。

ところで、お仕事をされている姿を是非拝見させて欲しいのですが。

いや、お見せ出来るものではないよ。でも私は窯元の中に工房を構えているから、環境的には恵まれてるよね。それに焼物をするのに広い環境という面でも私は恵まれている。身が小さい分。広い環境を確保するのは楽だね。

今度の個展にはどのような物を出されるのですか。

どうしよう。

沢山売れるといいですね。

そうだね。そうなると嬉しいですね。あの、ところで吉田屋ってね、沢山売れたと思うんだけど、何でだと思う?あんな使いにくそうな器。

やはり芸術の事を皆さんよくご存知なんでしょう。素晴らしいものですからね。

九谷って五彩と云って、五色の絵の具が特徴なんだ。赤、青、黄、紫、紺青。吉田屋ってね。その中で赤という絵の具は使わなかったんだよ。吉田屋さんは本当に素晴らしい方だと思う。これはつまり経営的げん担ぎなんだな。赤は出さないっていう。そういう事だね。不思議なものだけど。だから今度の展示赤絵出すのやめようかと思ってるの。

えー。それは寂しい。

うん。赤絵好きなんだけどね。仕方ない。赤絵ってね、花や鳥、草や蝶などが風と共に低い視線で描かれているんけど、それがねずみが見る世界と結構似ている。これ描いた人は多分身体が小さかったんじゃないかな。

言われてみればそうですね。

それとも寝転がって描いてたのかも知れん。しかし、うーんどうしよう。やっぱり迷ってるのよ。

迷われていらっしゃるなら思い切ってお出しになれば。

九谷焼なんてものは縁起物なんだよね。絵柄や文様には色々意味があったりして。吉田屋さんなんかもそういうの多いんですよ。だから赤を使わないだけでなくて。

しかし話は戻りますけど、吉田屋さんは一説では、経営が成り立たず僅か数年で廃業されたと記憶してます。

焼物って収縮するものなんです。

はぃ?

焼物ってパンと違ってね、焼くと収縮するものなんです。それが特性。つまり素質を受け入れるという事。縮まるということをね。

そんな収縮するんですか。

パンはどれくらい膨らむのかな?

解りませんけど結構膨らみますよね。

パンはふわふわだからね。九谷はつるつるしてるけど。

どれくらい縮むんですか?

結構縮まる。だから大きめに作るの。焼くと収縮するって、いいよね。私はいいなと思ってね。

何故縮むんですかね?

縮んだ分、どこかへ行ってしまうという事だと思う。今は長右衛門窯はガス窯だけど、昔は石炭を使っていた。その時は煙突から黒い煙が出ていたものだよ。その煙と共に収縮した分が外へ飛んで行ったのだと思うのだが、ガス窯になってしまった今は大袈裟な煙突などなくて煙も殆ど出ない。しかし未だに焼物が縮むというのはその時の名残だけが残っているんじゃないかしら。

はあ、名残?何も知りませんで恐縮ですが、縮むのは九谷焼だけですか。

それよりパンはなんで膨らむの?私はしたことないけども、九谷焼は焼き続けるとどんどん縮んでその内消えてしまうのかな?

パンは焼き続けても膨らみ続けることはないですよ。

あ、そう。でも、いや、どうだろう。私は窯焚きはしたことないから知らない。

先生は窯焚かないんですか?

長右衛門窯には大きな窯があるけど、その窯に私の物も入れてもらってる。入れてもらってると云うかいつも夜中こっそり窯の中に入れてる。まあ私の場合は極少量だから。窯からあがる際もこっそりとバレない様にやってる。120年もバレてない。さすがちゅう右衛門(笑)。私は買い物に行く訳にもいかないので、粘土、絵の具、環境すべて長右衛門窯から頂戴している。非常に恵まれた環境にいるね。

先生の工房は長右衛門窯さんのどちらにあるんでしょうか。

それは秘密、猫が読んでるかも知れないし。

しかし恵悟さんはご存知なんですよね?

そう。彼はあなたさん達の原稿の受け渡しをしたりしてますし、今度の個展を進めているのも彼なので仕方ないです。

ところで恵悟さんの作品はご覧になったことありますか。

ビスケットは最高だったね。あれまんまとだまされちゃったよ。欲しくて欲しくて話しかけてしまったんだよね。それがきっかけだったよ。あと夜行性の私と作業時間がかぶるのよ。人間の癖にね。さて、それじゃあそろそろお腹も減ったし。

すみません、最後にひとつ。

何か頂けるの?

いいえ、最後にもうひとつだけ質問をお願いします。

何かしら。

長く続ける秘訣を是非本誌や読者の為にもお伺いしたいと思うのですが。

器用に何でもやり過ぎないことじゃないか。暗中模索して煩悶してこそ、倦まず弛まず続けられるというものだよ。器用なねずみは大体すぐ死ぬんだよ。逆に不器用なやつが早く死ぬと気の毒でね。

成る程ありがとうございます。

器用って器って字が入るね。

そうですね。語源はなんでしょう。

器として使えるって意味だろうね。

器として使えるものが早く死ぬなんて皮肉ですね。

…そうですね。やっぱり使えない器がいいかな。

企画の成功をお祈りいたします。本日はありがとうございました。

(二〇〇九年四月吉日 上出長右衛門窯にて)  








(c)Kanazawa Art Event Calender Equal





 
 

Web Equal  vol.10 2009.6~7

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ちゅう右衛門

ネズミであり九谷焼作家。
明治十二年生まれ。
七月で百三十歳を迎える。
石川県能美市出身。
日本陶仙会名誉会員。